平泉の文化遺産
「平泉の文化遺産」の概要
平泉の文化遺産の「評価」
平泉は、12世紀日本の本州北部において、仏教に基づく理想世界の実現を目指して造営された政治・行政上の拠点です。
仏堂・浄土庭園をはじめとする構成資産は、6世紀から12世紀の間に中国大陸から日本列島の最東端へと伝わる過程で日本に固有の自然崇拝思想とも融合しつつ独特の性質を持つものへと展開を遂げた仏教、その中でも特に末法の世が近づくにつれ興隆した阿弥陀如来の極楽浄土信仰を中心とする浄土思想に基づき、現世における仏国土(浄土)の空間的な表現を目的として創造された独特の事例である、と評価されています。
それは、浄土思想を含む仏教の伝来・普及に伴い、寺院における建築・庭園の発展に重要な影響を与えた価値観の交流を示しており、地上に残っているものだけでなく、地下に残る遺跡も含め、建築・庭園の分野における人類の歴史の重要な段階を示す傑出した類型です。
さらに、そのような建築・庭園を創造する源泉となり、現世と来世に基づく死生観を育んだ浄土思想は、今日における平泉の宗教儀礼や民俗芸能にも確実に継承されています。
平泉の仏国土(浄土)
仏国土とは、仏の国又は仏の世界のことであり、菩薩の誓願と修行によって建てられた国をも指すものです。浄土は、通常、阿弥陀如来の極楽浄土のことを指すと考えられやすいですが、東アジアの仏教においては、絶対永遠の仏の悟りの世界、高位や下位の菩薩の世界、凡夫と聖人とが同居する世界などが一体として存在し、そのすべてを浄らかな仏国土(浄土)とすることができると捉えられました。
特に、6世紀から12世紀にかけて発展を遂げた日本独特の仏教では、現世に究極の仏の理想世界である仏国土(浄土)を実現できると理解されました。
平泉の建築・庭園及び考古学的遺跡群は、日本の自然崇拝思想とも融合しつつ独特の性質を持つものへと展開を遂げた仏教、その中でも特に末法の世が近づくにつれて興隆した阿弥陀如来の極楽浄土信仰を中心とする浄土思想に基づき、現世における仏国土(浄土)の表現を目的として創造されました。
登録までの流れ
- 世界遺産暫定リストに登載
- ユネスコ(世界遺産センター)へ推薦書提出
- イコモスによる現地調査
- 世界遺産委員会で延期決議
- ユネスコ(世界遺産センター)へ推薦書再提出
- イコモスによる現地調査(2度目)
- 世界遺産委員会で登録決議
登録資産(2011年記載)
資産名:平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-
中尊寺(特別史跡指定地の一部)
毛越寺(特別史跡指定地の一部)
観自在王院跡(特別史跡・名勝)
無量光院跡(特別史跡指定地の一部)
金鶏山(史跡指定地全域)
世界遺産認定書
「平泉の文化遺産」は、平成23年(2011)6月、フランスのパリで開催された第35回世界遺産委員会において、世界遺産一覧表への記載が認められました。記載された資産の正式名称は「平泉─仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群─」です。
写真は、平成24年(2012)2月13日平泉文化遺産センターで開催された、「世界遺産認定書授与式(外務省主催)」の際に、イリーナ・ボコバ ユネスコ事務局長から授与された認定書で、現在は外務省が保管しています。
なお、認定書の複製(レプリカ)は、平泉文化遺産センター、平泉役場庁舎、柳之御所資料館に掲示されています。