文中の遺跡名(青色)をクリックすると位置図が見られます。

掘立柱建物の基礎の実例
(西から撮影)

右の柱穴はE番、左の柱穴はA番の例です。

 人が住まいとしていた遺構は、地上に柱を立てて屋根をかけている建物と、人が4、5人ほど寝起きできるほどの面積に地面を掘りくぼめて、その中に柱を立てて屋根をかける竪穴住居(たてあなじゅうきょ)があります。12世紀の竪穴住居は、平泉では発見されていないが、岩手県水沢市の玉貫(たまぬき)遺跡では見つかっています。4.6m×2.9mの東西に長い長方形に穴を掘って、壁(かべ)きわに4本ずつの柱穴があります。東側に底面が傾斜をもった出入り口がついています。かまどはありません。平泉では、今まで竪穴住居が発見されるようなところを掘っていないが、近年のうちにはかならず発見される遺構です。

 地上に柱を立てる建物は、基礎のちがいで礎石(そせき)建物と掘立柱(ほったてばしら)建物の2種類があります。礎石建物は大きな石のうえに直接柱をのせて建物を建築します。平泉の寺院の建物はこの方法で、毛越寺のように建物が現存していなくても礎石が並んでいるので、建物の大きさを推定(すいてい)することができます。

 掘立柱建物は、建物の大きさや柱の太さによってことなるが、一般的には地面に直径50p、深さ60pのまるい穴を掘って、太さの直径が16から22pぐらいの丸柱を立てます。この柱を穴の中に立てる方法にはいくつかの工法が見られます。

掘立柱建物の基礎のいろいろ

@穴の底に柱を立てて、掘りだした土をそのまま固めながら埋め戻します。
A穴の底に厚板を敷いて柱を立て、@のように埋め戻します。
B穴の底に握りこぶしぐらいの石を敷いて柱を立て、同じく埋め戻します。
C穴の底に頭ぐらいの大きさの石を置いて柱を立て、同じく埋め戻します。
D穴の底に柱を立て、石を入れながら、同じく埋め戻します。
EAからDの工法を組にして、同じく埋め戻します。


昭和60年度
花立I遺跡で見つかった礎石
(北西から撮影)


中央4個の白丸印が建物下の礎石で左上は礎石が残存しているが他は礎石が抜き取られて跡です。



衣関遺跡第1次に発見された掘立柱建物跡の調査中の写真。(北東から撮影)
 このように柱を安定にさせ、強固(きょうこ)にするために、いろいろ工夫しています。
 いくつかの柱穴が一定の間隔をおいてつながったときに、はじめて掘立柱建物の平面形が見えてきたます。現在の1間は1.8mですが、当時の1間は2.1mとか2.7mとかさまざまです。標準的な建物の大きさは間口が3間、奥行きが2間の建物で、つぎに調査例が多いものは間口3間、奥行き2間の母屋(もや)の外側四辺に、1間ずつの庇(ひさし)がつく建物です。このほかに間口5間奥行き2間、間口7間奥行き2間の建物なども見つかっています。

 屋根の上にふいた瓦は、平泉ではごく一部の地域で、しかも屋根を全面ふくだけの数は出土していませんので、板でふいたか、かやぶきの屋根と考えられます。

掘立柱建物の平面規模のいろいろ


@3×2間の建物 A3×2間の母屋に二面の庇付きの建物 B3×2間の母屋に四面の庇付の建物 C5×2間の建物 D3×2間の母屋に一面の庇付きの建物 E1×1間の母屋に四面の庇付きの建物


住まいとくらし

井 戸

便 所



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東北全図平泉町内位置図遺跡地図


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