泰衡の首がさらされた陣岡(じんがおか)(岩手県紫波町)

四代 泰衡 ( やすひら ) と平泉の落日
  秀衡の跡を継いだ泰衡は、「義経を大将に、頼朝と戦いなさい」という遺言を守り、義経のもとに結束していました。しかし圧力は強まる一方で、ついには奥州追討の通告を受けるのです。限界と感じた泰衡は、とうとう義経を襲撃します。追い詰められた義経は、持仏堂に入り、妻と4歳の娘を殺したあと自殺したのです。そして泰衡は、義経側についていた自分の弟たちも殺してしまいました。
  頼朝の命令に従った泰衡は、もう責められることはないはずでした。しかし頼朝は、「義経を隠まっていたのだから、同じ罪人だ」として、奥州侵攻に乗り出しました。頼朝は最初から奥州を狙っていたのです。義経がいなくなったこの時こそが、そのチャンスでした。頼朝は、朝廷の反対をも無視して、大軍を率いて奥州に乗り込みました。泰衡も応戦しますが、頼朝軍の勢いは止まりません。泰衡は平泉に火を放ち逃走しますが、その途中で家来の裏切りによって殺されてしまいます。
  ここに約100年の栄華を誇った奥州藤原氏の時代は幕を閉じました。