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(7)達谷窟(たっこくのいわや)【史跡】
 平泉の中心部から西へ約6km付近に位置する寺院です。
 9世紀初頭に征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷討伐の戦勝と仏の加護への祈願を込めて、京都の鞍馬寺から多聞天(毘沙門天)を勧請し、毘沙門堂を建立したのが始まりと伝えられており、1189 年には、源頼朝が文治五年奥州合戦の帰路に参詣しています。
 達谷窟付近の現在の道路は、12 世紀の日本の北方領域における南北幹線道であった「奥大道」と重なっているものと推測され、政治・行政上の拠点である平泉と周辺の地域とを結ぶ交通の要衝を成す重要な寺院でした。
 毘沙門堂の南側に位置する現在の蝦蟇が池は、往時には池中の中央に中島を擁し、玉石護岸を伴う園池であったことが判明しており、仏堂の前面に設けられた浄土庭園としての空間を構成していました。
 毘沙門堂の西方には、凝灰岩の岩壁に刻まれた大きな磨崖仏があり、現在もなお人々の厚い信仰を集めています。


磨崖仏