中尊寺本堂

(1)中尊寺(ちゅうそんじ)【特別史跡】
 中尊寺は、平泉の中心部北側の関山丘陵に位置する寺院です。奥州藤原氏初代清衡は、平泉を造営するのに当たり、現世における仏国土(浄土)を表す中核の寺院として最初に中尊寺を造営しました。
 1126年の「鎮護国家大伽藍一区」(現在の大池伽藍跡を中心とする区域と推定される)の建立に係る『中尊寺供養願文』には、「蝦夷」の征討以来、奥州での多くの戦で亡くなったものの霊魂を敵味方の区別なく浄刹(浄土)へと導くとともに、奥州に現世の仏国土(浄土)を造ろうとした初代清衡の願いが示されています。
 12世紀末期の中尊寺には、40にも及ぶ堂宇と300にものぼる禅坊(僧侶の住居)が存在したとされています。1337年の火災により、金色堂、その覆堂、経蔵の一部を除くほとんどの堂宇は焼失しましたが、近世には、仙台藩主伊達氏の庇護の下に、現在に残る他の建造物や月見坂などの参道が整備されました。
 現在の中尊寺境内には、本坊をはじめ、17の支院、白山信仰に基づき北の鎮守社として勧請された白山神社が存在し、今日においても伝統的宗教活動が活発に行われています。

1-1 金色堂(こんじきどう)【国宝】
 中尊寺境内の北西側に位置する阿弥陀如来の仏国土(浄土)を表す仏堂建築です。同時に、金色堂は藤原氏四代(清衡・基衡・秀衡・泰衡)の遺体及び首級をそれぞれ安置した霊廟であり、今なお地域における精神的な拠り所ともなっています。
 屋根板を除く全ての部材の外面には黒漆が塗られ、金箔が押されています。また、建物の部材に用いられた東南アジア産の紫檀・赤木、螺鈿に用いられた南海産の夜光貝などは、12世紀に国内外の広い範囲に及ぶ交易・交流が行われていたことを示しています。
 金箔の装飾、蒔絵・螺鈿などの漆芸・金工の意匠・技術を尽くした金色堂は、 徹底した輝光の荘厳であり、「無量光」とされる阿弥陀如来の極楽浄土を表現ししています。

1-2 金色堂覆堂(こんじきどうおおいどう) (旧覆堂)【重要文化財】
 中尊寺境内の北西の一画に位置する金色堂覆堂は、現在のコンクリート造覆堂が建造される以前に金色堂を保護していた木造の覆堂であり、奥州藤原氏が滅亡した100年後の1288年に鎌倉幕府によって造営されました。
 現存する覆堂は、その様式から15世紀頃に再建されたものと考えられています。建造物を保護するためにその外方を覆う覆堂は、修理や改修を繰り返す中で古いものが残りにくい性質を持ちます。金色堂覆堂は現存する国内最古の覆堂とされ、重要かつ繊細な木造建築や石造物を風雪から護るための伝統的な手法のひとつを今日に伝える重要な事例です。

1-3 経蔵(きょうぞう) 【重要文化財】
 中尊寺境内の北西側に位置する経蔵は、国宝である「紺紙金銀字交書一切経」、「紺紙金字一切経」などが納められていた木造建造物です。
 寺伝によると、現経蔵は、棟札により1122年に完成したことが判る2階建の経蔵のうち、下層の部分のみの部材を用いて14世紀頃に建て直されたものとされています。内部の三方の壁面には、経典を納める経棚が7段にわたって設けられています。

1-4 大池伽藍跡(おおいけがらんあと) 【特別史跡内】
 大池伽藍跡は、清衡が、奥州における多くの戦で落命した全ての霊魂を敵味方の区別なく浄刹(浄土)へと導くとともに、自らの浄土への往生をも祈願し、現世における仏国土(浄土)の表現を目的として造営した浄土庭園の考古学的遺跡です。
 これまでの発掘調査によって、西に仏堂が建ち、その東側の低地に石を用いて意匠した園池が広がっていることが判明しています。今後は、発掘調査を継続して行い園池の修復・整備を進めることとしています。