平泉の文化遺跡
「平泉の文化遺産」
 
1. 登録名称

平泉 ‐仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-

2. 遺産の種別

文化遺産(記念工作物・遺跡)

3. 所在地

岩手県平泉町

4. 構成資産

(1)中尊寺(ちゅうそんじ):特別史跡
  1-1 金色堂
  1-2 金色堂覆堂(旧覆堂)
  1-3 経堂
  1-4 大池伽羅跡
(2)毛越寺(もうつうじ):特別史跡・特別名勝
  2-1 庭園(毛越寺庭園)
  2-2 常行堂
(3)観自在王院跡(かんじざいおういんあと):特別史跡・名勝
(4)無量光院跡(むりょうこういんあと):特別史跡
(5)金鶏山(きんけいさん):史跡

5. 顕著な普遍的価値(世界遺産委員会資料仮訳、一部補足)

 平泉の4つの浄土庭園(中尊寺大池伽藍跡・毛越寺庭園・観自在王院跡・無量光院跡)は、そのうちの3つが神聖な山である金鶏山に焦点を合わせており、浄土思想の理想と、庭園・水・周辺景観の結びつきに関する日本古来の概念との融合を例証しています。浄土庭園のうちの2つは、発掘調査により発見された多くの詳細事項に基づき復元されたものであり、他の2つは地下に埋蔵されたまま残されています。
 短命であった平泉の都市は、11世紀〜12世紀の日本列島北部領域における政治・行政上の拠点を成し、政治的・経済的に京都と拮抗していました。4つの庭園は、当時の支配氏族の北部地域における子孫であった奥州藤原氏により、現世における仏国土(浄土)の象徴的な表現、つまり池泉・樹林・金鶏山頂と関連して仏堂を周到に配置することにより実体化した理想郷の光景として造営されました。重厚に金箔を貼った中尊寺の仏堂(金色堂)は、12世紀から残る唯一のものであり、支配氏族の巨大な富を反映しています。
 平泉の大半は、政治・行政上の地位を失った1189年に滅びました。それは、平泉のめざましい繁栄と顕著な富を表すと同時に、その急速で劇的な没落を示すものでもあり、多くの詩歌を喚起する素材となりました。1689年に俳人の松尾芭蕉は、「夏草や つわものどもが 夢の跡」と歌いました。このかつての巨大な(政治・行政上の)拠点に存在し、浄土庭園、12世紀から残存する顕著な仏堂、神聖なる金鶏山との関係を伴う4つの寺院仏堂の複合体は、平泉の財力を繁栄する類い希なる集合であり、日本の他の都市の仏堂や庭園にも影響を与えた計画・庭園の意匠設計に関する概念を表しています。

6. 評価基準の適用(世界遺産委員会資料仮訳、一部補足)

評価基準(ii)
 平泉の寺院と浄土庭園は、仏教とともにアジアからもたらされた作庭の概念が、日本独特の自然信仰である神道に基づきどのように進化を遂げ、結果的にそれが日本に独特の計画、庭園の意匠設計の概念へとどのように発展を遂げたのかを顕著に明示しています。平泉の庭園と仏堂は、その他の都市の庭園・仏堂にも影響を与え、特に鎌倉には中尊寺に基づく仏堂のひとつ(永福寺)が存在します。

評価基準(vi)
 平泉の浄土庭園は、東南アジアへの仏教の普及、日本に固有の自然信仰の精神及び阿弥陀如来の極楽浄土思想と仏教との特有で固有の融合を明確に反映しています。平泉の仏堂と庭園の複合体から成る遺跡群は、現世における仏国土(浄土)を象徴的に明示しています。

資産範囲図(推薦書より。6.柳之御所遺跡 は今回の登録から除外)